スポーツ技術もまた日進月歩。選手の技術も道具も環境も。でも疲れまんなコレ・・・。
どうも、おつかれshimamotoです\(^o^)/
今日は最近思ってたことをつらつらと書こうかなと。いや昨日ですねー。金の計算してみたわけやないですか。で、昨年に比べコスト増大しとんなあと思ってですね。
結局、自分の才能とかが決まっているとして、それをどこまで練習するかで実力が決まるのなら、ある程度コストもかけんと実力も上がらんのかなという感じで、うちでもいつの間にか少し、そうやっていたんやなと。
まあそら当然ですよね。別に悪いわけでもない。今より勝とうと思えばそうなるし、勝たんでもええわと思えばそうならん、いうだけのことやと思いますが。
で、前にダルビッシュ選手がデータ野球がつまらんようなこと言うとったやないですか。
これって突き詰めていくと、「野球は進化するところが少なくなってきてアップアップになってきた(からデータで丸裸にされるようになった)」ということやと思うんですよね。
(大谷選手みたいな超怪物くんが「まだまだですけど」って感じにしてますけど、どちらかいうたらダルビッシュ選手の感想のほうがリアルでしょう)
だからこそ佐々木朗希投手が170投げるんではないかという期待の一方で、そんなん投げたら怪我するやろって意見も同じくらい出てくるわけです。つまり、すでにあるものの進歩というのは限界にどこまで近づいていくかの過程であるわけですね(なんでテニスもケガだらけやし、相撲なんかどこまで体重増やせばええんかってケガだけやなしに病気もですね)。
これ野球だけちゃいますよね。サッカーやテニス、将棋や囲碁なんかもそうやけど、昔から比べたらそりゃもうデータも蓄積されて技術も戦術も磨き上げられてそれに伴い道具も進化しさらにはそれらを習得するためにいつ頃からどういった努力を続けるべきなのか。そしてそれらを実現するために肉体はどう作り上げるべきなのか。どういった環境を用意すればいいのか。
情報が丸裸になった世の中でそういった指標がどんどん明確になってきています。
じゃあそれを上回るには?当然、指標が示されている以上、より早く始めたり、より長くそれに時間をかけたり、より強い負荷をかけたり、そういったことが必要になりますよね。で、同時にそれらを高次元のバランスでまとめるいうか。
そしてそこにもやがて限界が来ると思いますんで、
あとはもう遺伝子レベルでどう素材を高めるか・・・。子どもを作る段階から努力開始、みたいな?
で、そこまでやったところで例えば「野球」も「テニス」も「将棋」もビジネスとして見れば需要は決まっとるわけですから、「50年前にいればグランドスラム取ってたわ」って思う人でももうプロにすらなれんわけですよね。
いや、なんか疲れますよね結構・・・。
これって、「24時間戦えますか」ってフレーズを思い出します。1989年の流行語大賞です。ようはバブルが弾けた頃に、もう頼るところがど根性しかなくなって、一日の時間を仕事に限界まで割り振ることが勝利につながると信じられていた時代の言葉です。ぶっちゃけうちの職場にもそんな人がいて、正直迷惑極まりなしです(笑)
これ一番わかり易いのってなんやと思います?ゲームですね。ゲームやるとアイテムとかパラメータとかキャラクターとかどんどん強化していって、ホンマに全部強化しきるとそれ以上強くならんでしょ?
なんで、新しいゲームがリリースされるわけですよ。そうせんとみんな最強キャラばかりになってしまいますからね。
なんで、スポーツもそろそろ新しいスポーツでも流行らしたほうがええかも知れんですね。また一から技術や戦術を見つけていく楽しみが生まれます。誰でもどんどん記録を出していけるし(笑)
水木しげるさんって漫画家いてたやないですか。2015年に亡くなりましたけども。彼は戦争中、ラバウルで現地の人達に助けられたという貴重な経験をしておりまして。彼の書いた漫画にはそんな彼らの世界観に深く感銘を受けたと思われる内容が度々登場するんですよ。毎日を平和に暮らす未開と言われた地域の人々が、進化発展ばかり標榜している現代人を揶揄するような感じの。まあいうたら構造主義の祖の一人と言われるレヴィ・ストロースが「野生の思考」を認めたときのような、いやそれ以上の心境でしょうな。
つまり、SDGsってやつなんですけども。
ああ、考えてみたらうちの子らなんか勝つ気まったくないねんけど、あいつらshimamotoよりはよっぽどSDGsやな(笑)
なんて言いながら、うっとこはスタンス的には楽な位置なんで、テニスもそれなりには頑張ろうと思ってはいてますけどもね(^_-)。