ん?よー考えてみるとこれは・・・。
どうも、わりと考えとる感じのshimamotoです(^_-)-☆
プロになるのに一万時間。これ、よー聞きますよね。
サクッとググった結果としては、アンダース・エリクソン博士のフロリダ州立大学1993年のバイオリン奏者を対象とした研究から導かれた1万時間の法則。これがマルコム・グラッドウェル氏の著書により拡大解釈されたものが定着した考え方、ということのようですな。
でまあ、これって平たく言うとどういう意味かいいますと、どんな分野でも一流になるには1万時間くらい精進せなあかんでー、いうことのようです。
ふんふんなるほど、じゃあ本気出すときは1万時間、やったればええわけやな!
なーんてね、思うわけですけども。
で、ですねー。これってもっと平たく考えたらどうなるん?って思ったんですけど、よーするに、一流というのは他の人がちょっとやそっとで真似出来ないレベルでやっとるいうことなんやと思うんですが、
単純計算で10000時間って10年間毎日なら2.74時間費やすって意味なんですよね。もし休んだらもっと。
よーするに、「幼少から空いとる時間をその分野につぎ込みまくらんと青年期に1万時間に到達はしない」わけですよね。ふんふん今から本気やでとかいうのとちゃういいますか。
つまり「ちっさな頃からその分野のことをやれる限りやろうと思うと、独立する年齢に達する頃には必然的に大体1万時間くらいにはなってまう」ということのよーなんですね。
これ、解釈の仕方でずいぶん印象が違うと思いません?
いやもちろんですね、1万時間やれば誰でも一流になれるいうこととは違いますよ。でも、よーするにここでいう法則とはつまるところ、早期英才教育である、みたいなもんでしょ?
1993年の研究ですからね。今はもっと早期英才教育流行りやないですか?いうことは、1万時間の法則なんてすでに最低限の条件でしかない状態になっとると思いません???だって差別化するための1万時間だったはずが、今はみんなやっとるんですよ???
さらに言ってええですか?要するに人類いうんは一流になるのに使う時間もその時間の使い方もどんどん分析して効率化していってるわけですよね。だから極端な話、胎児の頃からなんらかの努力をスタート!しかも科学的に!みたいになるわけやないですか。
でもですね、それを昔より多くの人がやるようになっとるから、今後は1万時間やっても一流になれる可能性って必然的に下がるわけですよ。となるとどうしても今度は、最大限の才能という、実際年齢を重ねてみんとよーわからんとても不確定な要素がね。幅を大きく利かしてくるようになるわけで。
つまりリスクを避けようと思って早期英才教育を行うわけですけど、結局はますますリスキーな人生になるわけですよねえ。
これって社会的な大問題やと思いません?幸福を目指すはずの高度情報化社会の生み出す超競争社会が結局のところ多数の不幸を生み出していくわけですよねえ。
で、じゃあなんで今、そういった関門を突破した最大限の努力+最大限の才能の超一流(大谷翔平とか)のほかにトンデモ系のyoutuberとかがウケるかいうたら、
みんなが英才教育を受けるようになると、みんなと違って受けてへん人生の存在意義が相対的に高まるみたいなことも起きるわけですよねえ。
なんかこう・・・人生・・・とっても大変ですわ(´_ノ`)y-~~
ソロキャンプしたくなる気持ち、わかりますわ。
もうここまで来るとshimamotoには難し過ぎて考えるの無理いいますか人生無理なレベルで無理やんねヽ(^。^)ノ