さてテニスははるか昔からそういう状況やってんけど、近年急速にそうなってもーたスポーツがありますよね。
どうも、黒いshimamotoことkumamotoです\(^o^)/
ソレがコレですわ。少し古い記事で申し訳ないんですけど。
まー要するにですな。なんでもそうやけど、早くからきちんと始めればうまくなります(笑)。
特にこういう、体があんまり大きくないほうがええスポーツ言いますか、慣性モーメントのほうが筋力より重要な要素になるスポーツは、そもそもにして大人より子供のほうが技の難度は上げやすいですから。別な言い方すれば13歳でオリンピック出場より、25歳で出場のほうが難しい競技もあるいうことですね。そして時代の変わり目・・・一部のコアな層しかやっとらんかったスポーツに、これまで他競技で早期英才教育やっとったような層がダーッと流れ込めば、そらベテランが蹂躙されるのはムリもないなと思うところです。
で、この記事に立ち返りますが。記事のタイトルにもある”違和感”。コレの正体って、よーは子どもたちの楽しい遊び、子どもたちの自由な発想の世界に、大人たちの欲望がなだれ込んできて、遊びから得点狙いの競技へと変わってしまったことに対しての違和感に他ならんわけですね。
記事内にもあるオリンピック金メダリスト堀米雄斗選手の言葉を引用しましょう。
「大会は結果がわかりやすく出るけど、コンテスト、採点で勝敗が決まる世界は、スケートボードの一面でしかない。スケートボードの本当の魅力や楽しさをもっと多くの人に知ってもらいたい」
ぎりぎり遊びの世代から出てきた選手のノスタルジーなわけですが、同時にとても大事なスポーツの本質をついた言葉でもあるわけですね。
これって、テニスにも大いに当てはまるところがあると思います。子どもたちの世界に、大人がどれだけ踏み込むか、これで子どもの強さは大きく変わるけれども、同時に世界観もまた大きく変えられてしまうことが多いわけですね。
すなわち、テニスをやるのは子どもでも、すでに子どものものではないいうことです。
特にまた、テニス(に限らず体の大きさや筋力なども大きな影響を与えるスポーツ)の場合、頑張っていても成長した時に強いままでいられるとは限らない。その時、捉え方がまたいろいろあるでしょう。
頑張ったことが無駄になるわけではない。でも、結果だけを見ている人がいたら、その頑張った事実すら否定されることになるかも知れない。
いろいろありますが、低年齢時はある程度自由な方が良いのではないかとも思います。
何事も結果だけでなくバランスも大事かなと思いました。